公務員からの転職~FIREを目指して~

アイキャッチ01_公務員からの転職 FIREへの道

【この記事について】

30代で公務員から民間へ転職。
僕がFIREを目指すようになった心境の変化と、リアルな失敗談を書いています。

「FIREって気になるけど、自分には関係ないかも…」

そんなふうに思ってる方にこそ読んでほしい

投資もお金の知識もゼロだった30代サラリーマンのリアルな体験記です。

以前は散財ばかりでしたが、子育てを通してFIREを目指すまでの道のりをまとめました。

うまくいった経験も、大きな失敗も、包み隠さず書きました。

この記事から「自分にもできるかも」というヒントを見つけてもらえれば幸いです。

ご挨拶

はじめまして、しきねこです!

当ブログにお越しいただきありがとうございます。

  • 将来に不安があるけど、何から始めていいかわからない
  • 投資に興味はあるけど、成功者の話ばかりではピンとこない
  • FIREや副業、自由な生き方に惹かれる
  • 同じような働き方・環境でモヤモヤしている

そういった方々にとって、このブログが何か一歩踏み出すきっかけになれたら嬉しいです。

私がFIREを目指すまでの道のりは、「プロフィール」ページでもご紹介しています。

このページではもう少し深く掘り下げ、当時のリアルな心情も交えながらお伝えします。

最後までお付き合いいただければ嬉しく思います。

※証券口座の開設方法など、マニュアル的な解説は行いません。そういった詳しい情報は、本や専門的なブログ等でご確認ください。

投資に無縁だった20代前半

まず私が投資なんか全く頭にもなかった頃の、20代前半のお話をしたいと思います。

世間体だけを気にした臨時教員時代

大学を卒業したばかりの私は、親に言われるがまま地元へ帰郷。
そのまま臨時教員として働き始めました。

教員の仕事に、特に強い熱意があったわけではありません。

「大学で免許も取ったし、これで世間体も保たれるだろう」

当時はそんな軽い気持ちでした。
(今となっては「自分の娘はこんな教師に預けたくない」と思ってしまうようなダメ教師でした)

毎年の教員採用試験で落ちても「まぁ別にそこまで採用されたいわけでもないし。なんなら採用されてる先生って忙しそうだし、採用って怖いなぁ」
なんて思ってました。

ちなみに、教員免許を持っていても、採用試験に合格しなければ正教員にはなれません。

当時は臨時教員(教師のバイトみたいなもの)として働いていました。

給料が入ればパチンコに費やし、勝てばそのお金は飲み代へ消えていきます。

タバコは1日1箱半(当時は1箱300円ほど)、時々キャバクラで散財することも。

これでは、お金が貯まるはずもありません。

そのため、通帳の残高が30万円を超えることは一度もありませんでした。

そんな、その日暮らしの生産性のない毎日を送っていました。

転機となった妻との出会い

しかし、人生プランとして「結婚して子供も欲しい」という思いはありました。

そのため、漠然と「このままではいけない」と感じていたのです。

そんなことを考えている時に、現在の妻と出会いました。

彼女はとても真面目で、私のことを想ってくれていることがよく伝わりました。

自分も「この人以上に、自分をさらけ出せる女性はいない」と感じました。

そこから自然と、結婚を考えるようになったのです。

不安定な立場からの脱却を決意

気付けば20代も後半に。

臨時教員という不安定な立場では、結婚は難しいと感じていました。

そこで「今年の採用試験は全力で頑張る。ダメなら転職だ!」と覚悟を決めました。

しかし、結果は見事な不合格!

その後、縁あってとある自治体の試験に合格し、正職員として働くことになったのです。

自治体職員としての日々

自治体に転職して1年目に現在の妻と結婚し、3年目に長女を授かりました。

世間では新型コロナウイルスが流行しており、飲み会や娯楽も自粛ムード。

子育てが始まると、その忙しさで私の浪費は自然と抑えられました。

独身時代には、考えられないことでした。

いつの間にか、100万円ほどの貯金ができていたのです。

自治体での仕事は、思っていたよりも激務でした。

世間で言われる「公務員は楽で安定」というイメージとは、かけ離れていたのです。

それでも同じ部署で3年間、必死に仕事に取り組みました。

やがて頑張りが認められ、私は所謂「出世コース」に乗ることができたのです。(乗ってしまいました。)

お金の情報との出会い

そして4年目、自治体で初めての人事異動を経験しました。

その異動先は、なんと外部団体への出向だったのです。

きっかけは「バス通勤」で生まれたスキマ時間

出向先の勤務場所は駐車場が無く、バス通勤を余儀なくされました。

バス通勤は、最初は時間に縛られるのが嫌でした。

しかし慣れてみると、乗っている間に読書やYouTube鑑賞ができます。

それは、ある意味で自分だけの時間として、ゆっくり過ごすことができました。

そんな中、自然と目に入るようになったのが、お金に関するYouTube動画でした。

その動画で言われていたことを簡単にまとめると

  • 転職と副業、倹約で毎月10万円浮かせよう
  • その10万を積立投資しよう

という感じでした。

本質は、また別の部分にあった気もします。

とはいえ、具体的な行動としては、概ねこんな感じでした。

資産1,000万!投資家の同級生との再会

そして世間でも積立NISAが話題になっており、投資への関心が高まってきていました。

そんな時に、出向先で高校の時の同級生と再会しました。

久しぶりに再会した彼は、既に5年間投資をしていたそうです。

彼の投資手法は、非常にシンプルでした。

やることは、ただ一つ。

「年初に一般NISA(旧NISA)で、米国高配当ETFへ120万円を一括投資する」

これだけです。

ETF:いろんな株をまとめて詰め込んだパック商品みたいなものです。
 →米国高配当ETF=アメリカの配当が高い銘柄の詰め合わせ、というイメージ。

彼の考え方は、当時のNISA制度がベースになっています。

  • まず、つみたてNISAの投資上限は年間40万円でした。
  • しかし一般NISAなら、年間120万円まで投資できます。
  • さらに米国高配当ETFを選べば、利回り4%での運用も期待できる。

このようなロジックでした。

それなら120万を4%で回した方が効率が良いのではないか、というものでした。

そして既に彼は1,000万近く資産を築いていました。

「時間を味方に」ついに投資の世界へ

そういった状況も相まって、私は投資の世界へと誘(いざな)われました。

色々と勉強する中で、ある大切なことに気づきました。

投資は、時間を味方につけるほど有利になるということです。

つまり、始めるのが早ければ早いほど、将来大きな資産を築けるのです。

それならば早速始めてみよう!ということで、SBI証券で証券口座を開設しました。

そして、投資デビュー

当時、世間では「つみたてNISA」が主流でした。

しかし私には、1,000万円の実績を持つ友人が身近にいました。

加えて、元々パチンコ好きという性格も影響していました。

「ちまちま積み立てるより、ドカッと儲けたい」

どうしても、そう思ってしまうのです。

そのため、友人と同じ「一般NISAで米国高配当ETFへ投資する」という選択をしました。

ビギナーズラックは無し!1年で10万円の損失

まずは手堅く、高配当ETFからスタート

当時買った米国ETFは「SPYD」という銘柄です。

このETFの投資対象は、アメリカの一流企業500社(S&P500)です。

そして、その中からさらに「特に配当が高い企業」だけを選んで投資する仕組みでした。

ギャンブル好きの血が騒ぎ、個別株にも手を出す

そしてギャンブル好きだった私は、NISAだけでなく、特定口座で個別株投資も始めました。

証券口座を開設するまで、私は知りませんでした。
NISAというのは、証券口座の中に作られる、特別な口座の一種だったのです。
構造としては、まず「証券口座」という大きな器があります。
その中に「NISA口座」「特定口座」「一般口座」といった、目的別の小部屋があるイメージです。つまり、証券口座さえ開設すれば、NISA以外でも投資は可能だということでした。
   NISA:非課税
 一般口座:課税(要確定申告)
 特定口座:課税(確定申告不要)

付け焼き刃の知識では勝てない。典型的な失敗パターン

個別株投資では、本を読んで勉強した手法を色々と試しました。

昼休みやバスの中など、隙間時間で必死に知識を詰め込んだのです。

例えば、”PER”や”ROE”といった指標を使う、ファンダメンタル分析。
あるいは、「ゴールデンクロス」のサインに従う、テクニカル分析。

しかし、1年間試行錯誤した結果は、10万円ほどのマイナスでした。

専門用語は、分からなくても大丈夫です。
要するに「とにかく“それっぽい情報”に飛びついて失敗した」という話です。

個別株投資では、典型的な失敗を繰り返すばかりでした。

私が買うと、なぜか株価はすぐに下落。

逆に株価が上がっても、「まだ上がるかも」という欲が出て売れません。

そして、結局は値下がりするまで持ち続け、損切りする羽目に。

いつも、この繰り返しでした。

高配当ETF投資で気づいた「再投資の壁」

ETF投資も、理想通りには進みませんでした。

友人のように毎年120万円を追加投資する余裕はなく、2年間での元本は60万円ほど。

年間の配当金も、利回り4%で24,000円程度という状況でした。

さらに、冷静に考えてみると、旧NISA制度の大きな壁に気づいたのです。

ETFで得られる配当自体は、非課税になります。

しかし、その配当を再投資するには、NISAの非課税枠を新たに使う必要があったのです。

これでは、最高でも元本600万円を4%で運用するのが限界だと気づきました。

旧一般NISAは、年間120万円×5年間=最大600万円が非課税投資の上限でした。

「雪だるま式」を目指して積立投資へ方針転換

一方、つみたてNISAの「再投資型」投資信託は、仕組みが違いました。

運用で得た利益を自動で再投資してくれるため、NISAの非課税枠を消費しないのです。

これなら、雪だるま式に資産が増えていくことに気づきました。

さらに、2024年1月からは新NISA制度でパワーアップ。

それまで年間40万円だった積立投資枠が、年間120万円まで増額されたのです。

これを機に、私は一般NISAのETF投資から、積立投資へと移行しました。

ちなみに、投資先はS&P500とオルカン(オールカントリーの略)です。

この2つの投資先を並べると「分散効いてへんやん!」というツッコミが聞こえてきそうですが、私は気にしていません。
(詳細は、また書くことがあるかもしれませんが、今はやめておきます。)

自治体暗黒期とメンタルの限界

そんなこんなで、「積立投資と個別株」という方針で資産運用を再スタート。

しかし、そんな矢先のことでした。 出向から帰った私を待ち受けていたのは、地獄の人事異動だったのです。

待ち受けていた地獄の部署

異動先は、所属自治体で「最も大変だ」と言われている部署でした。

出向から帰れば、そこに配属されることは覚悟していました。
しかし、実際の忙しさは想像を絶するものだったのです。

ただ、忙しいだけならまだ耐えられたかもしれません。

本当に辛かったのは、劣悪な人間関係や前任者からの押し付けです。
そういった負の要素が重なり、私の心はどんどん沈んでいきました。

心が壊れる寸前だった悪循環の日々

日中は、劣悪な人間関係に神経をすり減らす毎日。
仕事相手は皆ピリピリしていて、常に気を使い続けました。

前任者からはミスを押し付けられ、その尻ぬぐいに追われる。
それでも、評価されるのは前任者の方でした。

業務は多忙を極め、電話は鳴りやまない。
頑張って仕事をして帰っても、家族は寝ていて一人飯。
土日祝も働きづめで、有休消化なんて夢のまた夢です。

異動は4月。
しかし7月になる頃には、もう限界でした。
「早くここから離れなければ、自分の精神が回復不能になる。」
本気で、そう思うようになっていたのです。

正直、自分はメンタルが強い方だと思っていました。
だからこそ、そんな状態に陥ったことが信じられませんでした。

唯一の希望だった「FIRE」と、空回る投資

この時が一番『FIRE』に対する思いが強かったと思います。

投資方法も、より攻めた姿勢に転換しました。

まず、毎月の積立投資額を5万円から10万円に倍増。

さらに個別株は、成長が期待できる銘柄への集中投資に切り替えました。

結果は、積立投資はまぁそこそこでしたが、個別株はやはり惨敗でした。

妻の一言が、すべてを変えた~公務員からの転職~

仕事では心が病み、個別株投資では資産が減っていく。

家では放心状態で、子供の相手もできない。
食事も喉を通らない。

そんな絶望的な日々を送っていた、ある日のことです。

ついに妻が、私にこう言ってくれました。
「そんな状態で家に居られるくらいなら、転職してもいいよ」

私も悩みましたが、「よし、転職しよう」という結論を出すのは意外と早かったです。

転職の方針は

頭より体を使う。人間関係も少ない。給料はそこそこで構わないから時間がある仕事。生まれた時間でアフィリエイトで稼ごう。

というイメージでした。

最後の壁:立ちはだかる親戚の大反対

転職活動は順調に進み、実際に3社から内定をいただきました。

「この会社にしよう」と、心も決まっていました。

しかし、その段階になって親戚に報告したところ、猛反対されたのです。
まさに「大反対」という言葉がぴったりの、激しいものでした。

それでも、妻が一緒になって現状を説明してくれ、転職することは親戚も納得してくれました。

しかし、転職先の企業については、親戚から色々な意見をもらいました。

そこで、改めて別の会社も受けてみることに。
幸いにも良いご縁があり、そちらの会社でお世話になることを決めました。

「また自分の意志で決めずに、大丈夫か?」

読者の方の中には、そう思われた方もいるかもしれません。

しかし、2人の幼い娘を抱え、30代で公務員から転職するというのは大変なことです。
特に”公務員=安泰”とされる地方では、周囲からの理解を得るのが難しい現実があります。

それに、新しい転職先に不満があったわけではありません。
むしろ大学の就活時代に見ていた業界で、個人的にはとても良い選択だったと思っています。

退職時には、同僚から温かい言葉をかけてもらい、少しこみ上げるものもありました。
ですが、過去を振り返っている暇などありません。

私は未来に向かって大きく踏み出したのです!

公務員から民間への転職~新たな人生~

そして今にいたるわけで、2025年7月現在、転職して3ヶ月が経ちました。

転職先の業界は、世間では「忙しい」というイメージが強いかもしれません。

しかし幸いにも、配属された部署はとても平和です。
今のところ残業もなく、ゆっくりと働かせていただいています。

もちろん、大変なこともあります。
上層部の人間関係はかなり複雑で、一度巻き込まれそうになりました。

ですが、前職での経験に比べれば、全く平気でしたね。

大人が複数いると、どこでも人間関係は少なからずギスギスしてくるものだなと思いました。

ちなみに、同僚間の人間関係が一番マシだったのは臨時教員時代でした。
(学校にもよりますが・・・)

こうして、転職は無事成功。
仕事は落ち着き、給料も上がるという嬉しい誤算もありました。

めでたし、めでたし……。

と、言いたいところですが、ここで話は終わりません!

未来に向けて資産形成を続ける理由

今の会社も、いつまた暗黒時代が来るか分かりません。
県外支社への異動だって、十分にあり得ます。

私個人としては、むしろ首都圏で働いてみたい気持ちもあります。
しかし、娘たちが幼いうちは、やはり近くで一緒に過ごしたいのです。

その思いは人事にも伝えていますが、あまり期待はできません。
「人事は他人事」と言いますから、転勤の可能性は十分にあるわけです。

来るべき暗黒時代や、非情な人事異動。

それに備えて、いつでも「あ、じゃあ辞めます」と言える状況でありたい。

だからこそ、資産を築いておくのです。

いつまでも会社に依存した生き方で良いのか? いや、良いはずがない!

これが、私がFIREを目指す本当の理由です。

さいごに

大学卒業してから現在までの私の過去を振り返ってみました。

思ったより、長々と書きすぎてしまいました。

少しでも共感していただける部分があれば、幸いです。

次回は、「私が描いたFIREまでの道のり」を書いてみようかと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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